一人で留守番えらいね!

日常の喜怒哀楽,それ以外のもやもやなど、感じたことを書きます

楽して美味しい思いなんて、そう簡単には出来ないのだ

今週のお題「日記・手帳」

 

深夜、アイスでも買おうかと、コンビニに行った。

入店すると、迷いなくアイス売り場へ進み、「タニタのアイス」という低カロリーでも美味しいのが売り?の健康志向なアイス(人間の欲深さに応えたような)を手にする。とりあえず、レジに行く前に、店内の商品をチェックして回っていると、袋麺を電子レンジで作れるらしき容器が目に着いた。作り方を見てみると、水を入れて6分間で出来るようだ。そして、そのまま容器から食べることができるらしく、洗い物も減らすことができて、購入してみようとレジへ向かった。

 

家に帰り、容器に水と麺を入れ、レンジで6分温めた。

その間、レンジのドアの黒いドットから、様子を伺いながら、6分経ったところで取り出して見る。

恐る恐る中の様子を見ると、微妙な水の温度と固めの麺の状況だったので、もう数分レンジにかける判断をした。

そして、2分後、少しばかり完成形に近づいたラーメンが出来上がった。

そして、実食。感想としては、普通に作ればよかったかなというもの。つまり、期待は裏切られた。

まあ、食べれないわけではないが、スープも温めで、麺も芯が残っている感じである。一言で表現すると、温めのお湯で作った、カップラーメン。そう、あの取り返しの着かないような、微妙な感じである。

あまり美味しくないので、急ぎながら食べ終えた。

 

何が問題だったのか。致命的な問題は、水の量が多すぎたということだろう。容器に麺を入れ、その全体が浸かる位の水を入れると、入れ過ぎとなってしまうのである。そのことは、水を入れながらも気づいてはいたのだが、容器の構造上どうしようもないと考えていた。そして、多すぎた水は、温まりにくく、麺も半湯で状態となったわけである。さらに、その状態で、そのままスープの基を入れてしまったので、とても薄味なのである。少なくとも、余分なお湯は捨ててから、素を入れるべきであった。

 

いつもなら、鍋でお湯を沸かし、麺を入れ、別の皿に必要な分のお湯と麺とスープの素を入れるのである。これは、能動的8分間であり、レンジで楽ちんの受動的8分間とは対照的である。

やって気付いたのだが、どちらも、それほど手間も時間も大した差は無いのである。

つまり、同じ位の手間、時間がかかるのなら、少し面倒だけれども能動的な方が上手くいき、楽しようとする受動的な方はそれに劣るのである。

 

唯一の救いは、タニタのアイスである。初めて食べたが、こちらの方は期待に応えた。カロりー低めで、美味しいという、人間の怠惰な欲望を満たしてくれる商品である。

 

一人でブログ始められて偉いね!

小さい頃、家で一人で留守番していて、電話に出て「一人で留守番できて偉いね!」と言われた事があります。

しかしながら、どうして「偉いね!」と褒められているのか、その時には分かっていませんでした。単純に、「偉いね!」という言葉自体に気分を良くしていた記憶はありますが。

さて、大人はどうして、「一人で留守番できて偉いね!」と子供のお留守番を褒めるのでしょうか。

小さい子供にとって、「一人で留守番する」というのは、多くの場合、親との約束事でしょう。約束事の内容は、「家で大人しくしてなさい」、「訪問者が来ても出てはいけない」、「外に出てはいけない」だとか、以外にも子供にとってハードルが高いことだったのかもしれません。それができている子供に対して、多くの大人は電話越しに「偉いね!」と褒めていたのでしょう。

子供心ながらに自尊心をくすぐられたことだからこそ、記憶に残っているのかもしれません。留守番中に何をしていたのか、これといった記憶は見当たりません。

 

今の子供もこんな経験をしているのでしょか?おそらく、減っているのではないかと考えます。第一に、家に据え置きの電話が無い家庭はこんな経験できないでしょう。もしあったとしても、電話に出てはいけないと、親から言われている可能性だってあります。今でも、お留守番自体は、多くの子供がしているでしょう。むしろ、共働きが当たり前の今の時代の方が、子供が家で一人でいる時間を多く過ごしている可能性もあります。

電話越しの「偉いね!」がない時代、留守番が出来た子供は、電話越しの見知らぬ人からの「偉いね!」という臨時ボーナスを失っていることになりませんか。

できるのであれば、日本中の子供に。電話越しに「偉いね!」と言いまくりたい立場でありますが、残念ながらその機会は滅多に無いのであります。なので、子供に接する機会があれば、何か約束を守ったり、達成したときには、「偉いね!ボーナス」をあげたいのです。

 

なんで、こんな話をしたのかというと、先日、「偉いね!ボーナス」をあげ損ねたからです。職場の社員の子供(幼稚園児くらいの女の子)が、なぜか職場に来ていて、歩き回りながら地面に落ちている輪ゴムを拾っては、私に「落ちてた」と良いながら渡すのです。そのときは、戸惑いながらの「ありがとう」しか言えませんでしたが、「落ちてるもの拾えて偉いね!」的なことを言えば良かったなあと反省をしました。おそらく、親と子供の間に「落ちているものは拾って誰かに渡す」という約束があったのかもしれません。手渡された輪ゴムは、私の手を経由して、そのままゴミ箱に向かうのですが、2、3回目に手渡された時は、「これはゴミだから、ゴミ箱に捨てるんだよ」と教えようかなと考えました。しかし、小さい子供に輪ゴムがゴミかどうか判断させて、捨てさせることはまだ早い気もして、もやもやした気分になりました。

 

出来ないこと、やった事がないことが出来たとき、素直に「偉いね!ボーナス」的な臨時報酬を、ばらまきたいこのごろ。自分にも。